平成2年 群馬に戻り、住宅営業マンをやりながら、自らのウェイトトレーニングを仕上げる。(スクワット270kg)幾つかの呼吸法 気功を試みるが、この頃は、本物とは出会えなかった


写真 上 左は茄子よく見ると花がまだ、ついている。
写真 上 右は白粉花、雪の中で花が咲いている。
平成14年12月7日朝、の私の庭の花たち。前日の雪のなかで花を咲かせている夏の花達。同種の花は、一ヶ月半前には、このあたりでは、姿を消していた。
こんな現象が、我が家の庭で良く見られた。
平成7年のある日、ビデオショップで西野流呼吸法「気」というビデオと出会い、気を捉える メソッド(方法論)と 出会う。女優の由美かおるさんがモデルになって、呼吸法を紹介していた。早速、それを実行 する。そして、大幅な数々の、体調の変化を実感する。
平成8年秋、西野流呼吸法、東京本部 へ群馬から通う。 西野浩三師より、様々な動きを気の交流「対気」を中心に、手ほどきを受ける。
平成13年群馬県にて、前橋市、高崎市を中心に呼吸法(気功)研究会を発足。

(写真は平成14年夏、赤城山頂での屋外稽古で)
呼吸法 気功の世界を本当に捉えて、捉えて、捉えてみたい、ただそれだけで、呼吸法 気功研究会は、スタートしました。
稽古は進み、意識が丹田に、さらに足芯に下り、さらにその後の変化を続ける。
現在はこんな身体ゾーンを経験しつつあります。
そして更に稽古が進み、身体が多元の身体へ。
多元の身体とは、足芯(足の裏)に意識が下りて、さらに稽古が進んだ状態の身体という意味で、気、生命エネルギーの循環がさらによくなり、全身の細胞が歓喜する身体の状態を言います。
私は、年間を通じてアウトドアの稽古が好きなので、身体のエネルギーレベルの向上を、天と地、その日に張り出して来ている、季節の気、そして、植物や動物たちの様子の変化などを日々、捉えて行きます。
先ず、「天と地」の有り様が、今までと変わってきます。視覚として見えるだけでなく、巨大な、暖かく、光り輝く様なエネルギーをたたえた、天と地が、多元の身体をいだく様に拍って来ます。これは視覚的にもエネルギーの裏づけのある、迫力を持って拍って来るのです、。
同 時に身体も、この「天と地」のエネルギーを捉え、「生きている」のではなく、天と地の間で、「生かされている」自己を感じ取っています。この、エネルギー としての天と地の存在感は大きく、バックグランドとして厳然と存在していた事を、身体的未熟さの為、今まで、捉える事が出来なかっただけで、捉える事が出 来様が、出来まいが、何よりも先ず、存在していた事を身体は知ります。
そして、多元の緩んだ身体は、宇宙のエネルギーであるこの天と地の大きなエネルギーをエネルギーとして捉え、全身、60兆の細胞の一つ一つが、その事を感じ取り、エネルギーを実感した細胞の一つ一つが、歓喜している大変、気持ちのいい、身体の状態が現れてきます。
そして、私のアウトドアの稽古場の小動物達との距離も足芯に意識が下りた頃とは、比較にならない変化が出て来ています。これは自己がゆったり、静かになった分だけ、小動物達もその様に行動を変えているという事です。キジや野生のうずらが至近に居る事がよくある。
こ れは稽古中、私の近くのやぶの中をごそごそ、ごそごそ、動いていたかと思うと、ちょっと道に出てきて姿を現し、又、やぶの中へ入り、又何をしているのか、 物音だけが聞こえるという事が、よくあります。今年の春には、臆病ものの、ウグイスの若鳥が、歩行中の私の左肩にぶつかって、しばらく2~3mの近くの茂 みで、逃げる事なく居たり、長男と散歩中、キジの親子が逃げそこなって、手の届くところに居た為、長男が、ヒナをひろってしまったりと。長男が手を伸ばす 直前に雌の親が、近くに飛び出て、バタバタ、ケガをして飛べない様な動きをしていたが、やがて、少し離れたところに・・・。
シジュウガラが、手が届きそうな植え込みに私の稽古中に遊びに来たりと数えれば沢山あるが、静かな自己が誕生した分だけ、小動物達との距離は縮まっている。
こ んな様子を支えているのは「凪いだ大海の様な気分と言うか、その、気持ちを支える身体が誕生した結果だ。」気、生命エネルギーは、十分巡ると人は温和にな り、不足すると凶暴になる。多元の身体の強力な、気、生命エネルギーの循環は、その身体を益々快適にし、生きる楽しさを実感させてくれる。多元の身体は五 感をさらに第六感(インスピレーション)をさらに湧き出させる。私達の行動には二つあります。一つは頭で考えての行動、頭の心(大脳辺縁系の心)と体の心 (腸管内臓系の心)によって動く行動、この無意識の第六感(インスピレーション)も、この多元の身体は、身体感覚の一部としてしっかり、位置づいて来ま す。
多元の身体とは西野皓三師はその著書、西野流気の極意の中で以下のように、言われる。
「“多元”とは、「身 体中の無数の箇所」という意味である。全身の細胞を思い浮かべるとわかりやすいだろう。身体のいたるところ(全細胞)が“元”になり、この“多元”をすべ て“充足”させるのである。つまり“多元充足”とは全身をあますところなく“充足”させるということなのだが、全身を漠然ととらえてはいけない。その全身 は、あくまで無数の明確な“元”(細胞)が集まった“多元”とみなす。むろん、無数の部分はそれぞれ“全体”を含みながら“元”として充足している。
“多 元”が十分に“充足”するようになると、“気”がオーラのように身体から発散しだし“気”を自在に使える糸口がつかめる。充足してくるとエネルギーが身体 に満ちるので余裕が生じ、余裕が出てくればまず自己が他者を傷つけない。他者はそのエネルギーに包まれるから、当然こちらを傷つけることはない。いつでも 幸せで、自己を愛し、人からも攻撃を受けない。つまり、何事が起きても「辱められ」(『老子』)ない確固とした自在な身体を獲得することができるのであ る。
“四元充足”では、自分の身体の内部が見える。“多元充足”では自己の存在を観念ではなく身体そのもので把握する。自己の存在をはっきりつか むことは、自己以外の外部が見えることである。自分の周囲は目に映っても真の実態はとらえにくい。それが身体で見えてくるのだ。“身眼”(=心眼=真眼) が身につく。
ここまで身体が研ぎ澄まされてくれば、孫子のいう「闘わずして勝つ」という世界も心身で了解できてくる。まず、争い事をつくらない。 ほとんどは避けて通る。どうしても避けえないときは、その争いを融解してしまうのである。いいかえれば、この“強さ”は“ゼロの強さ”だといえよう。“ゼ ロの強さ”とは、厳然としていて、相手にけっして立ち向かう気を起こさせない強さ。それは荒れ狂う嵐をのみ込んで、鏡のように凪いでいる大海の強さ。あら ゆるものが発動する源であり、同時にあらゆるものが鎮まったすべてでもあるような“生命の究極の強さ”なのだ。
七世紀、インドの数学者プラーマグ プタによると「ゼロはいかなる数に乗じても結果は常にゼロである」(a×0=0)。すなわち、“ゼロ”はいかなるものをも包み込んでしまう無限の大きさが ある。また、「いかなる数にゼロを加減しても、その数の変化がおこらない」(a+0=a、a-0=a)。すなわち、“ゼロ”はいかなる相手とも対立せず、 相手を少しも変えようともせず、無限に応ずる自在さがある。」
呼吸法、気功は全ての人間の動きの中で、最も難しいと言われる。日本の歴史の中で、様々な行や呼吸法、気功で身体を完成させた人は数えるほどしかいない。 西野皓三先生のメソッド(方法論)“緩める事と捻る事”さらに“交流する事”の中に、難しさはない。難しいのは、頭の自分(自我)が大道を閉ざしてしまっ ていることなのだ。
自然と一体の身体、言い換えれば、宇宙と一体の心と体、それは、なんと伸び伸びした、スケールの大きな、自分の宿った体だろうか? 先生のおっしゃる様に、そんな身体を「先ず自分から」味わってみたい。
身体の完成には、まだ数年を要すと思うが、「いよいよ、これから」「一日一日、新しい未知のゾーンに入って行ける幸せを感じながら・・・」一日一日、もっと自在で、もっと楽しい自分に会いに行きます。