廣川隆志 略歴と現在
気 呼吸法 気功研究会と廣川隆志 topへ

ここ、渡良瀬川の土手から、廣川隆志の身体性作りは始まった。1年前の8歳の夏は、虫かごと虫取り網を持って殿様バッタを追いかけていた。正面は上毛三山の一つ、赤城山。

メンタル、身体運動中心に

昭和31年3月9日群馬県桐生市新宿に生まれる。 9歳の頃からランニングを始める。渡良瀬川の土手を5~6km、ゆっくり40~50分かけてのジョギングが日々の日課だった。子供ながら、ゆったり走り、体がほぐれると、心もほぐれ、リラックする事を日々体感していた。この頃の日本には、ジョギングという文化はまだなかった。 日々の練習の積み重ねは、身体能力を向上させ、当時、小学校で毎年実施されていた800m走では、2位を大きく、引き離す学年ナンバーワンの中距離ランナーになっていた。この事は、スポーツと重なるように現れるその向こうあるキラキラした、素晴らしい、大切なもの「生命の輝き」を追いかけるキッカケとなる。そして、その追求は、今日も続いている。

中学時代

剣道、陸上競技中距離。3年次より、ウェイトトレーニングを始める。

以降、約30年間、 ウェイトトレーニングとは付き合う事となる。小学生の頃からの日課のジョギングは、放課後、掃除を早く済ませ、ジョギングからオールアウト(全力)のラン ニングとなった。ほとんど小学校時代と同じコースを日々走ることとなる。、中学時代も学年ナンバーワンは譲らなかったが、桐生市で恒例の堀マラソンに3年 次に参加し、校外に強いランナーの居ること知る。剣道は市内の代表剣士が通う道場での稽古では、市の大会での勝者と互角に打ち合ったが、大会では、いつも 力んでしまい、いつも勝てない練習チャンピオンで終わってしまう。



[エピソード] 中学時代
中学3年次にこんな事があった。
同 級生の中に悪ガキのSが居た。彼は小学5年の時、交通事故に合い、それ以降、入院やその後の治療などで、学校に来る日が少なくなった。中学に入っても、1 年次の彼の記憶はほとんどない。2年頃から学校に来はじめたが、自分通す為なら、手段を選ばない、どうしようもない、悪ガキに変貌していた。私は、当時も 大事なことは譲らない、ストレートな性格だったので、気にいらない事があったらしい。
昼の給食の終る頃だった。片付けを初めようとしたその時、左 方向、(ほとんど死角)から空の牛乳ビンが、私の顔面、ほほのあたりに向かって、飛んで来た。私は無意識にその、ガラスの牛乳ビンをキャッチし、その時、 Sがやった事がわかった。私の「あぶないから、やめろ!」と言う声でで、その場は治まったが…。
それから、1ヵ月程して、今度は、授業が終わり、 掃除が初まろうという時、私の真後ろから、Sが木製のイスを私の後頭部目がけていきなり、投げつけて来た。私はとっさに、そのイスを振り返る様ににして、 両手で受け取り、大事には至らなかった。当時の木製のイスは、3~4kg程あるものだった。Sは驚いたらしく、その後のトラブルはなかった。
又、 剣道の稽古で円陣ゲームというのがある。1対1で打ち合い、他のメンバーは円形に1対1の勝負を取り囲む。そして、1本決まった瞬間に、前からでも、横か らでも、後ろからでも、打ち込んでいい1本勝負をするというもの。下級生との円陣ゲームでは、私は面をつけず、横からでも、後ろからでも対処できた。私は 当時、自分の特殊能力だと思って居たが、9歳からのゆっくりした動きのジョギングが、日々の積み重ねにより、若い活性化した身体の細胞をつくり、この様な 対処の出来る身体をつくっていた、と確信している。

高校時代

剣道、陸上競技中距離。3年次より、ウェイトトレーニングを始める。

以降、約30年間、 ウェイトトレーニングとは付き合う事となる。小学生の頃からの日課のジョギングは、放課後、掃除を早く済ませ、ジョギングからオールアウト(全力)のラン ニングとなった。ほとんど小学校時代と同じコースを日々走ることとなる。、中学時代も学年ナンバーワンは譲らなかったが、桐生市で恒例の堀マラソンに3年 次に参加し、校外に強いランナーの居ること知る。剣道は市内の代表剣士が通う道場での稽古では、市の大会での勝者と互角に打ち合ったが、大会では、いつも 力んでしまい、いつも勝てない練習チャンピオンで終わってしまう。



[エピソード] 中学時代
中学3年次にこんな事があった。
同 級生の中に悪ガキのSが居た。彼は小学5年の時、交通事故に合い、それ以降、入院やその後の治療などで、学校に来る日が少なくなった。中学に入っても、1 年次の彼の記憶はほとんどない。2年頃から学校に来はじめたが、自分通す為なら、手段を選ばない、どうしようもない、悪ガキに変貌していた。私は、当時も 大事なことは譲らない、ストレートな性格だったので、気にいらない事があったらしい。
昼の給食の終る頃だった。片付けを初めようとしたその時、左 方向、(ほとんど死角)から空の牛乳ビンが、私の顔面、ほほのあたりに向かって、飛んで来た。私は無意識にその、ガラスの牛乳ビンをキャッチし、その時、 Sがやった事がわかった。私の「あぶないから、やめろ!」と言う声でで、その場は治まったが…。
それから、1ヵ月程して、今度は、授業が終わり、 掃除が初まろうという時、私の真後ろから、Sが木製のイスを私の後頭部目がけていきなり、投げつけて来た。私はとっさに、そのイスを振り返る様ににして、 両手で受け取り、大事には至らなかった。当時の木製のイスは、3~4kg程あるものだった。Sは驚いたらしく、その後のトラブルはなかった。
又、 剣道の稽古で円陣ゲームというのがある。1対1で打ち合い、他のメンバーは円形に1対1の勝負を取り囲む。そして、1本決まった瞬間に、前からでも、横か らでも、後ろからでも、打ち込んでいい1本勝負をするというもの。下級生との円陣ゲームでは、私は面をつけず、横からでも、後ろからでも対処できた。私は 当時、自分の特殊能力だと思って居たが、9歳からのゆっくりした動きのジョギングが、日々の積み重ねにより、若い活性化した身体の細胞をつくり、この様な 対処の出来る身体をつくっていた、と確信している。

東洋大学経済学部時代

パワーリフティング部に所属するが、体育会系方針の幼稚さと衝突。ボクシングジムなどで、運動不足を解 消。3年次より、地域の社会人水泳クラブでスポーツの楽しさと再び、出会う。又、水泳という種目の動きの中に陸上での動きにない 気 生命エネルギーの循環を促す動きのあることを体感する。数年ぶりにスポーツとしての水泳に正面から取り組む。(写真はサークルの仲間と 桐生祭りに て)



「エピソード大学時代」
社会人水泳チームとの出会い                           初めて、このチームの練習に参加して、泳いだ後の身体の感触は、今も、忘れない。11月の割合、涼しい日だったが、練習を終えて湯島から、下宿のある小石 川まで、涼しいと言うより冷たい風を切って、帰り、近所の食堂で夕食をとるが、体がポカポカ体が温かい。風呂上がりの様な状態がいつまでも続いた。これは 陸上競技の動きにはない身体のジュクを横にして浮力中を、腕を前後に動かす為、内蔵が動き、身体が活性化して気 生命エネルギーが良く巡る状態になったた め、このようになるのだ。今まで味わった事のない感触だった。「これは体にやさしい!」と直感した。           とにかく、数年を経て、やっ と、出会うべきものに出会えた安心感を感じながらの日々がはじまった。しばらくの間、私の水泳練習とトレーニングは文京区立体育館がホームとなる。プール は25m6コース、昼は暗い。トレーニング場はトレーナーが、一人常駐していて、アドバイスをしてくれたり、やトレーニングパートナーとして、サポートの 必要な時は、サポートをしてくれたりと比較的、いい環境のなかでスタート。私は、自分のスイムやトレーニングは、昼間のうちに週、4~5日はほとんど貸し 切り状態で行うことが、東京に居ながらできたので、環境としては、大変、恵まれていた。また、忍ばずの池にも近かったので、スイムで疲れた体をジョギング でほぐすことも出来た。
これから、1年と少しの間、水泳というスポーツと心から向き合う事のできる大変、幸せで充実した、リズミカルな時を過ごすことになる。

マネジメント・サービス・センター(M・S・C)時代 メンタルとの出会い。

入った会社がマネジメント教育・訓練をする会社。クライエントは日本の1部、2部上場会社と韓国の大企 業。私の居た会社は、当時100万人居た ATT社の社員の教育・訓練をするためのブレーン会社と提携した、極東における、同社のプログラムの普及会社。世界的な心理学者と交流があり、大いに刺激 を受ける。(内観法・外観法、共)
人は何故、思い、悩み、苦しみ、喜び、楽しみ、怒るのか? 何故、成長し、成長 しないのか?当時のテーマでした。                          
又、ここで出会った、世界的な心理学者達の講演時の質疑で、知っていることは「知っている。」知らないことは「知らない」という、一つ一つを曖昧にしない、歯切れの良さは、その後の私に大きな影響を与えた。
心とつく本をラック何杯分か読みあさったのも、この頃のことでした。
(写真は都内の水泳クラブのメンバーと 遠泳の側泳として 千葉県君津の浜にて)

MSC 時代を中心に毎日マスターズ(当時、国内、社会人ナンバーワン競泳チーム)にて競泳を楽しむ。チームメイトが一人一人、素晴らしかったので、そして、コー チの故、岡田社長が素晴らしかったので、この頃は周囲にしっかり、目標となる素晴らしい先輩達に囲まれ、仕事に、競泳に、本当に1日1日が充実して、ピカ ピカ輝いていました。競泳という種目を心ゆくまで、楽しむことが出来たのもこの時代でした。故、岡田コーチ、「大事なことには、妥協する事なく、立ち向か えと、若き日の私に教え、示していただいたのは、貴方でしたね。」本当にありがとうございました。   合掌。

ザ・ビッグ・スポーツ時代

写真左(株)ザ・ビッグスポーツスイムアドバイザー ミュンヘンオリンピック金メダリスト田口信教氏と

写真右中央(株)ザ・ビッグスポーツスイムアドバイザー 「前畑がんばれ!」の旧姓,前畑秀子(ベルリンオリンピック金メダリスト) 故,兵藤秀子氏と


当時の心理学のトレンド、行動科学を学び水泳界に、昭和61年秋、(株)ザ・ビッグ・スポーツにヘッドコーチとして入社。
田辺スポーツプラザ  主任コーチ(和歌山県田辺市)
ビッグスポーツ七尾 主任コーチ(石川県七尾市)

ビッグスポーツ七尾時代
石川県水泳協会 石川国体強化コーチ
日本スイミングクラブ協議会北陸支部 強化委員
普及委員 を努める。



こ の時代はスポーツチーム特に競技水泳の指導実践とスポーツクラブのマネジメント実践の中で様々な体験をさせていただきましたが、呼吸法 気功の世界に結び つくキッカケとなったのが自身のトライアスロンのトレーニング中、「身体の極限状態のなかで、筋力でも精神力でもない呼吸の不思議を何度も経験する。」
こ の動きはいったい何だろう?もしかしたら、私達の知っている。当時の運動生理学の言う、人間の動きの説明意外に、もう1チャンネル私達の知らない、動きが あることになる。あるいは、それは本来の動きをカバーする動きなのか?この動きが何であるのかを捉えてみたくなり、忙しいスポーツクラブの現場を後にする ことになる。当時、インスピッレーションで 10 という数字が良く浮かんだが、この10年後、西野皓三先生の西野流呼吸法と出会うことになったのは、私のみ納得している。

平成2年 群馬に戻り、住宅営業マンをやりながら、自らのウェイトトレーニングを仕上げる。(スクワット270kg)幾つかの呼吸法 気功を試みるが、この頃は、本物とは出会えなかった

写真 上 左は茄子よく見ると花がまだ、ついている。
写真 上 右は白粉花、雪の中で花が咲いている。
平成14年12月7日朝、の私の庭の花たち。前日の雪のなかで花を咲かせている夏の花達。同種の花は、一ヶ月半前には、このあたりでは、姿を消していた。
こんな現象が、我が家の庭で良く見られた。


平成7年のある日、ビデオショップで西野流呼吸法「気」というビデオと出会い、気を捉える メソッド(方法論)と 出会う。女優の由美かおるさんがモデルになって、呼吸法を紹介していた。早速、それを実行 する。そして、大幅な数々の、体調の変化を実感する。


平成8年秋、西野流呼吸法、東京本部 へ群馬から通う。 西野浩三師より、様々な動きを気の交流「対気」を中心に、手ほどきを受ける。

平成13年群馬県にて、前橋市、高崎市を中心に呼吸法(気功)研究会を発足。

(写真は平成14年夏、赤城山頂での屋外稽古で)

呼吸法 気功の世界を本当に捉えて、捉えて、捉えてみたい、ただそれだけで、呼吸法 気功研究会は、スタートしました。




稽古は進み、意識が丹田に、さらに足芯に下り、さらにその後の変化を続ける。


現在はこんな身体ゾーンを経験しつつあります。


そして更に稽古が進み、身体が多元の身体へ。
多元の身体とは、足芯(足の裏)に意識が下りて、さらに稽古が進んだ状態の身体という意味で、気、生命エネルギーの循環がさらによくなり、全身の細胞が歓喜する身体の状態を言います。
私は、年間を通じてアウトドアの稽古が好きなので、身体のエネルギーレベルの向上を、天と地、その日に張り出して来ている、季節の気、そして、植物や動物たちの様子の変化などを日々、捉えて行きます。

先ず、「天と地」の有り様が、今までと変わってきます。視覚として見えるだけでなく、巨大な、暖かく、光り輝く様なエネルギーをたたえた、天と地が、多元の身体をいだく様に拍って来ます。これは視覚的にもエネルギーの裏づけのある、迫力を持って拍って来るのです、。
同 時に身体も、この「天と地」のエネルギーを捉え、「生きている」のではなく、天と地の間で、「生かされている」自己を感じ取っています。この、エネルギー としての天と地の存在感は大きく、バックグランドとして厳然と存在していた事を、身体的未熟さの為、今まで、捉える事が出来なかっただけで、捉える事が出 来様が、出来まいが、何よりも先ず、存在していた事を身体は知ります。

そして、多元の緩んだ身体は、宇宙のエネルギーであるこの天と地の大きなエネルギーをエネルギーとして捉え、全身、60兆の細胞の一つ一つが、その事を感じ取り、エネルギーを実感した細胞の一つ一つが、歓喜している大変、気持ちのいい、身体の状態が現れてきます。

そして、私のアウトドアの稽古場の小動物達との距離も足芯に意識が下りた頃とは、比較にならない変化が出て来ています。これは自己がゆったり、静かになった分だけ、小動物達もその様に行動を変えているという事です。キジや野生のうずらが至近に居る事がよくある。
こ れは稽古中、私の近くのやぶの中をごそごそ、ごそごそ、動いていたかと思うと、ちょっと道に出てきて姿を現し、又、やぶの中へ入り、又何をしているのか、 物音だけが聞こえるという事が、よくあります。今年の春には、臆病ものの、ウグイスの若鳥が、歩行中の私の左肩にぶつかって、しばらく2~3mの近くの茂 みで、逃げる事なく居たり、長男と散歩中、キジの親子が逃げそこなって、手の届くところに居た為、長男が、ヒナをひろってしまったりと。長男が手を伸ばす 直前に雌の親が、近くに飛び出て、バタバタ、ケガをして飛べない様な動きをしていたが、やがて、少し離れたところに・・・。
シジュウガラが、手が届きそうな植え込みに私の稽古中に遊びに来たりと数えれば沢山あるが、静かな自己が誕生した分だけ、小動物達との距離は縮まっている。
こ んな様子を支えているのは「凪いだ大海の様な気分と言うか、その、気持ちを支える身体が誕生した結果だ。」気、生命エネルギーは、十分巡ると人は温和にな り、不足すると凶暴になる。多元の身体の強力な、気、生命エネルギーの循環は、その身体を益々快適にし、生きる楽しさを実感させてくれる。多元の身体は五 感をさらに第六感(インスピレーション)をさらに湧き出させる。私達の行動には二つあります。一つは頭で考えての行動、頭の心(大脳辺縁系の心)と体の心 (腸管内臓系の心)によって動く行動、この無意識の第六感(インスピレーション)も、この多元の身体は、身体感覚の一部としてしっかり、位置づいて来ま す。



多元の身体とは西野皓三師はその著書、西野流気の極意の中で以下のように、言われる。
「“多元”とは、「身 体中の無数の箇所」という意味である。全身の細胞を思い浮かべるとわかりやすいだろう。身体のいたるところ(全細胞)が“元”になり、この“多元”をすべ て“充足”させるのである。つまり“多元充足”とは全身をあますところなく“充足”させるということなのだが、全身を漠然ととらえてはいけない。その全身 は、あくまで無数の明確な“元”(細胞)が集まった“多元”とみなす。むろん、無数の部分はそれぞれ“全体”を含みながら“元”として充足している。
“多 元”が十分に“充足”するようになると、“気”がオーラのように身体から発散しだし“気”を自在に使える糸口がつかめる。充足してくるとエネルギーが身体 に満ちるので余裕が生じ、余裕が出てくればまず自己が他者を傷つけない。他者はそのエネルギーに包まれるから、当然こちらを傷つけることはない。いつでも 幸せで、自己を愛し、人からも攻撃を受けない。つまり、何事が起きても「辱められ」(『老子』)ない確固とした自在な身体を獲得することができるのであ る。
“四元充足”では、自分の身体の内部が見える。“多元充足”では自己の存在を観念ではなく身体そのもので把握する。自己の存在をはっきりつか むことは、自己以外の外部が見えることである。自分の周囲は目に映っても真の実態はとらえにくい。それが身体で見えてくるのだ。“身眼”(=心眼=真眼) が身につく。
ここまで身体が研ぎ澄まされてくれば、孫子のいう「闘わずして勝つ」という世界も心身で了解できてくる。まず、争い事をつくらない。 ほとんどは避けて通る。どうしても避けえないときは、その争いを融解してしまうのである。いいかえれば、この“強さ”は“ゼロの強さ”だといえよう。“ゼ ロの強さ”とは、厳然としていて、相手にけっして立ち向かう気を起こさせない強さ。それは荒れ狂う嵐をのみ込んで、鏡のように凪いでいる大海の強さ。あら ゆるものが発動する源であり、同時にあらゆるものが鎮まったすべてでもあるような“生命の究極の強さ”なのだ。
七世紀、インドの数学者プラーマグ プタによると「ゼロはいかなる数に乗じても結果は常にゼロである」(a×0=0)。すなわち、“ゼロ”はいかなるものをも包み込んでしまう無限の大きさが ある。また、「いかなる数にゼロを加減しても、その数の変化がおこらない」(a+0=a、a-0=a)。すなわち、“ゼロ”はいかなる相手とも対立せず、 相手を少しも変えようともせず、無限に応ずる自在さがある。」


呼吸法、気功は全ての人間の動きの中で、最も難しいと言われる。日本の歴史の中で、様々な行や呼吸法、気功で身体を完成させた人は数えるほどしかいない。 西野皓三先生のメソッド(方法論)“緩める事と捻る事”さらに“交流する事”の中に、難しさはない。難しいのは、頭の自分(自我)が大道を閉ざしてしまっ ていることなのだ。
自然と一体の身体、言い換えれば、宇宙と一体の心と体、それは、なんと伸び伸びした、スケールの大きな、自分の宿った体だろうか? 先生のおっしゃる様に、そんな身体を「先ず自分から」味わってみたい。
身体の完成には、まだ数年を要すと思うが、「いよいよ、これから」「一日一日、新しい未知のゾーンに入って行ける幸せを感じながら・・・」一日一日、もっと自在で、もっと楽しい自分に会いに行きます。