写真が捉えた 緩み
気 生命エネルギーのレベルには段階がある。 |
生命エネルギーは条件次第で写真に写ります。廣川隆志の身体の画像に現れた変化を、その時々のコメントで同じ人間がどんなふうに変わるのか、その一部を紹介する。
ここに4枚の私の写真がある。人間のパワーについての関心は5~6歳ころからあった様に記憶している。先ず、パワーへの関心は目で見え、計測可能な、わかり易い、筋力、そして、力×スピードの世界へと向かった。ウエイトトレーニングの世界だ。
そして、それらは、スポーツの種目、とりわけ、パワー系競技の陸上競技や競泳に向かった。そして、それらを通じて身体文化としてのいくつかのメソッド(方法論)と言えるものと出会った。また、それらの、メンタル、フィジカル両面にわたる、指導実践も経験した。
そして、それまでも折にふれて経験していたが、身体の動きの極限状態の中で現れる「筋力でも精神力でもない、身体の動きを決定するもの、」だった。これは何だろう?
この疑問が「気の世界」(気 生命エネルギーの世界)へと私を運んでいった。
この頃は、「筋力でも精神力でもないもの」は呼吸と共に現れることまでは、捉えていた。しかし、「身体の極限状態」にとらわれていた為、それ以上のアプローチは出来ずにいた。 |
| 西野流呼吸法に出会う直前の私(廣川隆志 )写真中央 |
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「一枚目の写真は約10年前にスポーツの指導の現場を離れ、気の世界への様々な、空振りの続く出会いの 中、身体から「筋力の完成!」という不思議なメツセージの様なものを感じていた。そして、25年のトレーニング生活をしめつくくるべく、身体の筋力を仕上 げることに全力をあげていた。しかし、身体は、気持ちに沿わず、老化の症状を発して来た。そして、この、一年後には25年間やって来たウエイトトレーニン グが西野流呼吸法との出会いで、強力に復活し、20歳代の私を遙かに超える元気な身体に勢いずく事になる事をまだ、知らずに居る私。
足が黒く見えるのは、日焼けではなく、ストレス(マイナスエネルギー)だ。
まだ、常識の世界にしつかりとリンクしていて、人間の作った物が全てだと錯覚していた頃の、生きる為の苦しみがストレスとなって現れている可哀想な私。
気持ちは胸上部にある。気 生命エネルギーのレベルは「自己の命をつなぐ気 生命エネルギー」 |
| 西野流呼吸法2年目の私 |
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二枚目の写真は西野塾の昼休みの写真。右は新潟市にお住まいの長野氏、呼吸法 気功歴25年新潟市で気功教室を主宰していた。
当時、70歳の長野氏は「稽古場で、少年の様な心ではしゃいでいるのが魅力的だつた。
こ の頃の私は、「筋力の完成!」という身体の内からのメツセージを仕上げ、呼吸法 気功の世界にやつと、たどりつき、私が極めたと思つていた身体の世界は、残念ながら、「筋力は筋力という身体の持つ能力でしかなかったことを知る。」同時 に、西野皓三師の体現されている気 生命エネルギーの世界こそ人間の持つパワーの世界であることを確信する。
人間とは?自然とは?現在の常識的、マニュアル的な事実は自然、あるいは森羅万象のほんの氷山の一角でしかないことを知る。まだまだ、人間にも自然にも広がりがあることを知り又、少年の頃に経験した世界が拡がる楽しさとも、再び出会う。
大 分太っているのは、当時、同門の女優の由美かおるさんから「寝る前に天丼を食べても太らない、むしろ、食べ足りないでお腹がすいて目が覚めてしまうことが いや。」ということを耳にして、同じ様な食べ方をしたら、まだ、当時、ミトコンドリアの活性が低く、基礎代謝が低いため体脂肪率20パーセントくらいま で、太ってしまった。
当時、住宅営業マンをやっていたが、行動の若返りと、しつかり、眠っても2時間位、睡眠時間を短縮できたので、生活時間に余裕が出来た。
呼吸法 気功による様々なフィジカル、メンタルな効果を実感し始めた時期でもある。西野先生につけていただいた呼吸法の気の交流、対気はオールアウトの稽古だった。もう動けない自分の向こう側にある、迷いのない、静かでなんとも心地よい世界が待っていた。
写真の肩から首、頭周辺が明るくなっているのがわかる。
気持ちは 胸下部、横隔膜の上。多くの、気の療法施術者、気功家といわれる方々の九割強がこのポジションだ。気功療法の施術の依頼を時々受け、成果も上がり、驚くことも少なく無かったが、パワー不足も経験した。 |
| 西野流呼吸法7年目の頃(気持ちが足芯に下りた頃の私) |
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三枚目の写真は、気持ちが足芯に下りて少し経過した頃の写真。呼吸法 気功研究会をスタートして5年が経過した頃。何しろ動くことが楽しくて、一日中、呼吸法の稽古が出来る様になってあっという間に5年が経過していた。
身体の感覚も今まで感じる事のない、初期の足芯、百会が開くことや、直感が冴えてくるのを感じながら、新しい自己の目覚めにワクワクする毎日を送っていた。
様々な偶然の必然に出会うことも日常の景色となった。
例 えば、自宅で気功療法の施術が長引き、高碕のスポーツクラブでの教室の時間に30分位食い込んでしまいそうな状態で家を出ると、30箇所くらいある途中の 信号機が2箇所を除いて全て青で遅刻の連絡をスポーツクラブに入れようと思っているうちに、逆にいつもより、早くスポーツクラブに到着してしまっていた。 等等。
呼吸法 気功の気の交流「練気」で発する生命エネルギーのパワーも以前とは比較にならなくなってきたのも、この頃からだ。
二枚目の写真では首た頭のあたりが明るくなっていたが、この写真では公園全体が明るくなっている。
この頃の気持ちの位置は足の裏、足芯に下りている。西野皓三先生の言葉では、「何があっても大丈夫な身体」と言うことになる。 |
| 平成21年9月末の私 |
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4枚目の写真はつい最近、金沢に行った時、朝、群馬を出てドライブ。一日目の昼、久々の金沢の「杉の井」 の郷土料理にありつける直前、ほっとした瞬間の写真。生命エネルギーの循環は三枚目の頃とは、また、比較にならない。この5年間は一日10時間の稽古は欠 かさなかった。うち、2年は一日13~4時間の呼吸法 気功の稽古が出来た。
やっと身体のエネルギーレベルの完成がどんなものか?イメージできるところまで、やって来たようだ。
頭の自分をリードする自己(体の自分)がしっかり登場して「身体の知」を発揮してくれている。
偶然の必然の現れる現れ方、内容も変わってきている。
この金沢では、こんな事もあった。
このホームページのトップの画像は初めは「老齢な大きなブナの木」だった。今は別のものを使っているが・・・。
な んと、最初に使った画像の「老齢な大きなブナの木」にこの春、金沢に訪れた時に出会ったのだ。それは、金沢の県立歴史博物館のトイレの前で出会った。兼六 園を観て駐車場へ移動中だった。どこかで見たことがあるが・・・と思いよく見るとやっぱりそうだった。生えている木にであったのに、「あなたはここで生活 していたのですね。」と突然出会えた親しみと大部、老いた化粧をされていた様子に、本当はズット若かったんだ!と変な安心をしたのも、人間よりズット数多 く生えている木のうちの一本に出会えたからこそ。この出会いの確立を考えると、楽しい。
上の写真では、身体の右側が見えにくく成ってい る。これは身体の左半身より右側が生命エネルギーの循環良いからだ。やがて身体の見えない写真を御覧にいれられる時期が来ると思う。私はその様な「開かれ た身体」を20世紀中に確立された方を複数、知っている。私もあと数年で、その様な身体をつくれるとことまで来たようだ。その時はまた、どんな感じなのか お伝えする。 |