物事には始まりがある。本当か?始まりの前には何もなかったのか?なんだか怪しい。そんな怪しさを見つめてみたい。
私達は、生きて、生活している。生きるという営みは、自然と連動している。自然とは私達の触れる事の出来る「宇宙」の事。
生活という営みは「社会」と連動している。つまり、社会は、私達、人間が作った「つくりごと」の世界だ。こちらの方は人間が自分の都合で作っていくところ。変える事も出来、結構、危ないことも沢山ある。「宇宙」から見たら、スケールの小さなバーチャルリアリティーの世界といったところだ。このバーチャルリアリチーの世界で物事の始まりを求めると混乱するので、スケールのずっと大きな「大宇宙」の始まりについて現代科学の見方を紹介したい。
「宇宙」の始まりは、永い間、神話や宗教のテーマだった。そして、その内容は、しばらくの間、本当っぽいうそっぱちでよかったが、それを許さない勇者たちによって、少しずつ訂正を余儀なくされることになる。特に20世紀科学は、この「うそっぱち」を許さない事実を積み上げた。そして、この「大宇宙」の始まりを私達が議論出来るようになるきっかけをつくったのがアルベルト・アインシュタインだった。彼は17世紀に成立した絶対的真理と考えられていたニュートン力学の、あちこちに目立ってきた綻びを修正した。アインシュタインはニュートンの万有引力の法則を修正し星とか銀河などの一つ一つにとらわれないで、さらに空間と時間を含む宇宙の新しい方程式を作り上げた。「一般相対性理論」である。この事により、宇宙全体の成り立ちや、歴史が議論できる様になり、現代の宇宙論がスタートすることになる。
その、アインシュタインの考え方には2つあった。
1)宇宙全体は一様で、等方向的である。
2)宇宙の大きさは、時間に無関係で一定。
そして、神様が創った宇宙は「じっと制止した永遠のものであるべきだ。」と考えた。
ところが、アインシュタインから一般相対性理論の方程式を受け取ったウィルヘルム・ド・ジッターはこの方程式で様々な計算をしているうち、「宇宙が膨張している」ことに気付く、それは、宇宙がある時点から突然始まったことをほのめかすものだった。アインシュタインは当初、このことを認めず、この方程式にラムダという項を入れることで自分の考えを通そうとする。しかし、宇宙が膨張している事実を指し示す幾つかの事件がさらに追い打ちをかけ。自らの考えを訂正することになる。
1)E・ハップル
銀河を高性能な望遠鏡で観察、遠ざかる光は赤く見える。性質で近い銀河の星はゆっくりと、遠い銀河の星は速く後退している事を発見。「宇宙の膨張」を発見。
膨張している星たちの軌跡を逆に捉えていくと、一点に宇宙が集約されることを発見。そして、この時間を計算すれば宇宙誕生の時期がわかる事になる。
2)アメリカのベル研究所の2人の研究者が宇宙のあらゆる方向からやって来る電波(マイクロ波3k)を発見。宇宙論の研究者達には「膨張する宇宙」が、かつて高温のプラズマに満ち満ちていた頃の光が今、届いたことを理解。
ガモフのビッグバン理論。宇宙は非常に熱い火の玉からはじまり、その後、膨張により、冷たくなってきているというモデルを証明。
これらのこと(イ)アインシュタインの「相対性理論」(ロ)ハップルの「膨張宇宙の発見}ベル研究所の二人の研究者の「宇宙背景輻射の発見」。この一つの理論と二つの発見をベースに「ビッグバン宇宙論」は現代の標準的宇宙論の位置を占める事になった。
その現代宇宙論の宇宙の始まりについての見解はこうである。
宇宙には始まりがあり、その時間は約170億年前である。
そして、誕生した瞬間の宇宙は、1センチの10のマイナス33乗の大きさだったということが、様々な事実と計算によって導き出された現代という時代の定説だ。
宇宙が誕生して10億年くらいたった時期に、初期の銀河と思われる活動が見つかっている。約46億年前、私達の銀河系の片隅に小さな星”太陽”が誕生し、やがて、この星のまわりには数々の子供の星たちが誕生し、その中に”私達の星地球”も太陽の子供の星の一つとして誕生した。太陽系の誕生だ。この始まりは私達、地球に住む生命体にとって、エネルギーも含めた生態系の始まりでもある。
そして、舞台は私達の星、地球へ移る。太陽系が始まったその約6億年後、地球の海の深いところで地球で初めての限りなく頼りない単細胞の生命体が誕生する。この生命体は酸素の嫌いな嫌気性のバクテリアだった。酸素が嫌いではエネルギー効率が悪い、ただ海水中をただよっているだけだ。約40億年前のことだ。この、単細胞の生命体は私達の直接の祖先であるかどうかはわかっていない。やがて、この限りなく頼りない単細胞の生命体は自らの細胞のなかにミトコンドリアという好気性のバクテリアを取り込み、強力な生命エネルギー代謝を持った単細胞生物に変貌していく。このミトコンドリアとの出会いは生命進化にとって決定的な進歩をもたらした。約18億年前のことである。この時点で私達の細胞の原型が誕生する。そして、地球環境も生命体にとって良い環境になり、この、好気性のバクテリアを細胞内に取り込んだ単細胞の生物達の一部は多細胞の生物へと進化していく。多細胞の生物への進化をするということはその生物を構成する細胞一つ一つが勝手に動くだけでは都合が悪い、その生物の細胞からなる身体に号令をする、脳、神経系が必要になる。そして、多細胞の生物で繁栄したものは、魚類へと、・・・・。
生命進化はとどまることなく続いていく。
この様に、物事には始まりがあるが、それはいつも自らを更新してゆくプロセスにすぎない。始まりの前もあれば、始まりの後も必ずあるだろう。宇宙の誕生する170億年より以前、宇宙はどんな姿、形をしていたのか?時間、空間という概念はあったのか?現在の私達は残念ながら知ることはできない。私達にあるのは「今、ここに生きている自己があること」。そして、今とこれからがあること。生命エネルギーが充実していれば、様々な困難は自己を更新するチャンスとなり、又、別れもある代わりに様々ないい出会いもあることだろう。その事こそが新たな自己を形作ってくれる。いつも、「今から始まる世界」これが、「私達の始まり」の実際の姿のようである。 |
| 気 廣川隆志 view and feeling >> 2008年 3、4月自然の循環 そして運航 1 |
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3月になろうというのに、寒さはまだ本格的だ。この真冬の様な寒さの中で、寒さをこらえて夜空を眺めてみる。すると、そこには沢山の星達が所狭しと瞬いている。私達の目には、大きく明るい星、小さくあまり明るくない星、青っぽく輝く星、赤く輝く星を識別するのが、せいぜいだ。そして、星達は、天空の中で前後左右に、比較的に平面的に並んで輝いているようにすら見える。しかし、宇宙は平面的なものではない。 |
残念ながら、私達の五感を通じて捉える自然の中の森羅万象は、必ずしも自然のありのままを映し出しているとは言えない。だから、私達は、様々な楽しさと出会うだけでなく、自らの運航、循環から脱線し、葛藤や苦しさと出会いながら、日々を過ごす事にもなる。しかし、この自然には,自然の法則があり,同時に、まだ、私達の気付き、知らない自然の摂理として、それに基づき、目に見えず、音に聞こえない物や事が、循環し、運航しているのだ。
それでは、先ず、私達の知っている、地球と太陽との大きさの関係を見てみよう。ここにドッジボールがあるとする。そのドッジボールから、10m先にアズキより一回り小さい物を置くと、これが 太陽と地球との大きさの関係だ。又、太陽を壊して地球と同じ大きさの物を作るとすると33万個の地球と同じ大きさの物が出来るという。つまり、太陽は地球の約、33万倍の大きさなのだ。
又、私達の居る太陽系は太陽を中心とする8個の惑星と三万数千個の小惑星とそれらのある空間をいう。さらに、銀河系の大きさはというと、銀河系はこの太陽系が約、2千億個寄せ集まった大きさだという。ということは、銀河系には、約、二千億個の太陽系が集まって出来ているということは、銀河系には、二千億に近い太陽と、地球に似た生命体の居る星がある可能性があるということだ。
さらに、この銀河系が数千億個集まって島宇宙が形成され、さらに、この島宇宙が数千億個集まって大宇宙が形成されているというのだ。
さらに、この大宇宙自体が強力に膨張しているという。私達の感覚、知では、こんな、基本的な大宇宙の大きささえ、捉えることが困難だ。
そして、宇宙には宇宙のリズムがある。天体の自転や運航のことだ。私達の地球の自転は24時間だ。軸がずれている為、時間調整が必要な為。閏年がある。銀河系の1回転の時間は二百五十万年。
小さな原子の世界でもこのリズムは同じ様に働いているという。そしてこのリズムは変わらない事が知られている。例えば太陽系の運航、100年に1秒の狂いもない正確さで、運航しているとのことだ。この正確さは太陽系のみならず、大きいところでは大宇宙、小さいところでは原子の原子核の周りを巡る電子の運航のリズムに至るまで、一貫している。これらの動きを支えているのは、宇宙のエネルギーであるのは間違いのないことだ。現実の様々な動きの陰に、目にも見えず、音にも聞こえない宇宙のエネルギーが私達の知っている事、未知成る事や物、全てつまり、森羅万象に作用しているのだ。
私達の地球は約50億年前に小惑星が衝突し、自転の軸が現在の様に23.5度傾くことにより、四季というリズムのある星となった。四季は地球に住む動、植物に実にメリハリのあるリズム与えた。この事件は地球に住む生命に様々な豊かさをもたらすことになる。そして、地球の動きのリズムだけでなく地球の運航や循環にも大きく影響をあたえる。この事は、地球の自転のリズムや太陽の周りを巡る運航のリズムにも、影響を及ぼし、1年につき四分の一日を加える調整が必要となり、四年に一度、閏年が必要となった。地球では約40億年前に最初の生命体が誕生し、生命の星、地球が誕生する。地球は、先ず、太陽からのほどよい距離で太陽光を受け、植物、そして、動物に光、そして、温度が提供される。ある科学者の計算によると、地球に注がれる太陽光の熱エネルギーは、1秒間に石炭200万トン分に相当するとの事。この距離によって、程よく生命体が生息できる条件を作っている。又、生命が自らを生かす代謝を行う為の豊かな水があること。そして 、又、大気の成分に多くの生命が必要とする酸素が含まれていたこと。そして、この酸素はその後、植物の繁栄により、強い太陽の紫外線を遮り、地表近くに生命体が集まる条件をつくる。そして、現在この地表近くに、ほとんどの生命体が生息する。こういった様々な条件が重なって誕生した生命の星、地球を「幸運の星」又は「奇跡の星」と呼ぶ、天体のスペシャリスト、科学者も少なくない。
私達の星、「地球」は現在、私達人間の起こす様々な問題から、危機的な状況を呈して居るが、そもそも 私達、生命体が生存出来る条件を満たしている。この事だけでも、実は、様々な偶然が重なった「幸運」であり、「奇跡」の星なのだ。まず、私達が生きることの出来る環境をつくった、この奇跡と幸運を導いた自然の摂理に感謝し、当然の様に与えられているこのことの中に、実は様々な、偶然の重なりあった結果であることを、見つめられる眼と、感じ取れる感性は手放すことなく持ち続けたいものだ。
5.6月に続く |
気 廣川隆志 view and feeling >>2008年 1・2月
新しい年 |
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2008年、新しい年が来た。今年は閏年、366日ある。そして、この一年を過ごすと、又、新しい年に改まる。「改まること」これは大変ありがたい事だ。一年、一年、をリセットして、仕切り直しをする。そして、これは大切な事。何故なら、新年に描いたイメージどおりに、現実はなかなか動いてくれない事が多い。 |
そこには、様々な人生の季節もある。春の時期にいる人、夏の時期を過ごしている人、秋を生きている人。
そして、その内容も一律でない。早春を生きている人と、晩秋を生きている人では「あけまして、おめでとう」の意味も当然、自ずから違ってくる。しかし、人はそれぞれに新しい年を迎える。そして、頭で、「今年こそは!」と思う。しかし、人生は、生きた身体から、にじみ出る様に現れるもの。実際に動くのは、生きた自分色の一年。この辺が、又、なかなかうまく行かない。人は年と共にだんだん、自分色が強くなる。これに周囲の人の自分色がぶつかって来たり、社会環境が重なって来る。さらに、その人固有のラッキー、アンラッキーも重なってくる。
「人間は、自分色に生きる、他人色には生きられない。」ここが私達、人間の容易でないところ。そして、この私達の、容易でないところをこの呼吸法 気功の稽古は、より和らげてくれる。自己をかけがいのないもの、と捉えられると、他者もそのように感じられる様にになるものだ。フレキシブルで、パワフルな自己に近づくとは、そんなことも含まれている。今年もより、新しい自己を生き、より沢山の楽しさの中で、時を過ごしたいものだ。そして、何才になっても、この事が可能なのも、うれしい事だ。
自己を緩めれば、フレキシブルでパワフル!
今年は新年から、フレキシブルでパワフル!
そんな、いいスタートを切りましょう。いいスタートはいい中盤につながりますよ。そして途中でこけたら又、立ち上がればいい。
そこで質問です。今、この瞬間、あなたがやりたくてしょうがないことは?今、今日、今週、今月、今年は?
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気 廣川隆志 view and feeling >>2007年 11・12月
「いとをかし」の国の小さな影色の「もののあわれ」 |
今年の秋はきびしい残暑の後、かけ足でやってきた。私の稽古場は北関東の赤城山の麓、標高400m当りにある。平地よりは一廻り季節の変化は早い。今、10月の末になったが、どんな影色がここでは展開しているのだろうか?
今年の山栗はつぶも大きく、実りも早かった。今は地面に栗と栗のいがが落ちている。どんぐりも地面に落ちて、踏みつけるとはじけた様な音がする。前回の主公、ナツアカネの生き残りが倒木の枝で枯れた様にとまっている。10月初旬の頃は群れていたナツアカネ達であったが、群れたまま里へ行ったもの、数は少ないが、死地を決めた様に、ここに残って静かにその時を迎えようとしている者等、様々だ。
気温の低下に伴い、小動物たちの環境も確実に秋色に変化している。夕日の当たる石垣で夕日が沈む頃、暖を取るトカゲ達も目に入る。又、太陽光で暖まった道路で暖を取るバッタやカマキリたちも。私達が感じる暖かさや、暑さの中で元気に活動していた者達がキャストの交代に入っている。そんな影色がこのあたりで今、展開している。
これらの小動物達は越冬するものもあるが、トンボやバッタ達はもうすぐその命を終える。彼らは、去年から卵、幼虫、さなぎを経て成虫になったもの。さなぎを経ず成虫になったもの、どちらも様々な、事件をくぐってきたにちがいない。そんな意味で「彼らは、彼らの命をまっとうした」と言えるのだ。何故なら、次の世代は次の生の準備にすでに入っているはずだ。きっと、次の世代に又、来年、会えるはず。カントの言う「これでいいのだ。」なのだ。生を閉じるのはなんとなくさびしいが、自然の摂理、自らのDNA情報に基づき、自らを全うしたと感じたら、本当は「おめでとう!!」なのだ。素晴らしいのだ。でもやっぱり、はなやかさはこの影色にはない。
これから植物達の秋に本格的に入るが、気分として、エネルギーに満ちて動、植物達がそのエネルギーにつき動かされる春に比べ、「はなやかさ」や「期待感」を感じる気分にはならないのは、一つの世代との明確な離別も含まれているからだろうか?一つのページの終わり、さびしさが、秋、独特の気分を、この涼しさから寒さに向かうこの頃、感じさせてくれる。
「もののあわれ」とは古人達がこんな気持ちを言葉にしたものだが、よく言ったものだ。日本文化は「いとをかし」の文化だと言われる。だが、今の時代、「いとをかし」を特別な所に行って探さないと「いとをかし」に出会えない。そんな時代の動きのピッチや人々の関心は、「いとをかし」を、「もののあわれ」を探している余裕がないのか? 振り返る余裕がないのか?「いとをかし」の国の「もののあわれ」 の小さな影色の話だが、その事がさびしい。 |
| 気 廣川隆志 view and feeling >>2007年 9・10月 今年もトンボがやってきた。 |
例年の様に、私のアウトドアの稽古場のトンボが増えて来た。トンボ達から見たら私の事を、変なやつが、自分達の生活空間で変な事をやっている様に映っているだろう。ここには何種類かのトンボがいるがナツアカネが数の上では圧倒的だ。同じナツアカネでもいろいろな個性がある。
今日のここに居るやつは、ケイタイのストラップのバインダーにやたらと止まりたがる。私の腰のポケットあたりだ。去年はゆっくりと手を上に上げると指先に止まりたがるやつ、帽子のつばに止まりたがるやつ、シューズの甲に止まりたがるやつなど。同じナツアカネでも、様々な行動の個性があるし、身体的にも赤いものからオレンジ色に近いものまで様々だ。これからは稽古中に100匹を超えて出合う日もある。
盆が過ぎいつもの様に朝、夕、涼しい風が吹きはじめる頃、この辺ではトンボが増えて来る。そして、このトンボ達の背影にあるのは朝、夕の涼しい風、蝉しぐれ、強い日差し、他のトンボや昆虫達、そして沢山の植物達など。この自然のセットの一部としてナツアカネ達も映るので、「いつもの様に今年もトンボ達がやって来た。」となるのだ。いつもの様になのか?悠久の時、生命40億年をお互い背負って同じ時を共有してなのか?ただいとおしく感じてなのか?その時の様子によってだいぶ変わってくるが、どう感じ、どう捉えるかはその人の勝手。出来たら感動的な方が楽しい様に思う。
これはその人に(気)生命エネルギーが十分循環しているとその人の人生は目標だけでなく、夢がその目標に重なって、あるいはその向こう側に現れてくる様なもの。頭で作った目標だけではさびしい。
今、感じているこの風も「例年吹いてくるのと同じ様な風」ではさびしすぎる。「その頃感じた、あの風に似ている!!」、「はじめての感触の風だ!!」など…より楽しく、身体的でありたい。身体的であるという事は十分な生命エネルギーの循環する身体という事だ。しっかり感じて動く身体からは夢が湧き出て来る。そんな楽しさの中で時を重ねたいものだ。 |
気 廣川隆志 view and feeling >>2007年 8月
意欲は快適な身体から生まれる。 |
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最近、稽古中に脳や身体が開いて、身体が宇宙に抱かれて浮かんでいる様な快さを感じている事を時々、経験する。(我が師、西野皓三先生はこれを宙遊という概念で説明。)このとき、細胞が善んでいる細胞レベルの強力な快さも連動している。そうすると、身体が何かをやりたくて、ウキウキしてくる。この様子が何よりも気持ちよく、実に楽しい。そんな事を捉えている、今日、この頃だ。 |
今回は身体が「快適」になる事と、メンタルレベルの行動の源、「意欲」についてふれてみたい。
(気)生命エネルギーが不足していると、行動に内からにじみ出る様な力が出ない。~しなければ…これもやらなければ…あれも…という様子になってくる。この様な行動は拡がりのない必要にせまられた表象で、頭でつくりあげたものだ。
しかし呼吸法 気功の稽古を行うと、ある人は川が流れる様に、ある人は打ち寄せる波の様に快適な身体が現れてくる。
これは(気)生命エネルギーの循環による出来事だ。
この身体の快適さと一緒に現れてくるのが意欲だ。多くの人は意欲は頭で考えてつくり出すものと考えていますが、そうではありません。
意欲は身体の中から湧き出る様に生まれてくるもの。それは細胞が快感を得た時に生まれます。細胞はどんな時に快感を得るのか?それは生命エネルギーが身体の中で高まったり、強い感動や、外から(気)生命エネルギーが与えられた時、生まれるものなのです。私達、人間はミトコンドリアで産成された生命エネルギーにつき動かされるDNAとRNAと免疫能力に支えられて生きています。頭で考えて生きているのではありません。細胞が(気)生命エネルギーを得て快感を感じ、身体から湧き出て来るのが意欲なのです。
そして意欲の高い身体は、若者だけの特権ではありません。当会では稽古で生命エネルギーの循環を高め、身欲の高い身体をつくり、自己にチャレンジしたり、生き方を変えていく中高年の人達が続々と誕生しています。素敵ですね。
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